先祖供養とは

先祖供養とは、私達の生活の基礎となる大事なものです。
しかし、サラリーマン僧侶が増え宗教離れが進む現代では、間違った供養の認識が広がっています。
このサイトでは、先祖供養をなぜしなければいけないのか、そして、正しい先祖供養の方法をお教えします。
一般的な先祖供養に対する考え方
一般的な先祖供養に対する考え方
- 仏壇に線香をあげお供え物をし、お経を唱える
- 位牌や戒名をつける
- お墓を掃除し、お参りをする
- 法事を行う
- 施餓鬼供養をする
- お墓や仏壇を新調する
- 感謝の気持ちを伝える
- 故人を想う Etc
などが上げられます。
成仏しているのか?
一般的な先祖供養に対する考え方は、全て形式だけのものであり、本当の先祖供養とはいえません。なぜならは、肝心なことが抜けているからです。
肝心なことは何か?
それは、「そもそも、先祖は、本当に成仏しているのか?」ということです。
一般的な先祖供養のほとんどは、「先祖が成仏している」と、いうことを前提としています。「死んだら成仏するもの」という認識のもとで供養を考えるため、形式だけの供養で終わってしまい、本当の先祖供養とはは言えないのです。
それでは、本当の先祖供養とは何でしょうか?
それは、
「先祖の苦しみに気づき、成仏させてあげること」
です。
守護霊と成仏
皆さんは、
「死んだら成仏するもの」
「先祖が守護霊となって守ってくれる」
と、思っていませんか?
このように先祖を守り神と信じて疑わない人が多いのですが、しかしながら世の中を見渡すと、それとは矛盾した不幸なことばかりが起きています。
不幸なこと
- 交通事故で大事な人が亡くなったり、思い後遺症が残ったりする
- 火事になり、家が消失し全てを失う
- ガンなどの重病や原因不明の病気で苦しみ、財産までも失ってしまう
- 子供が出来ない
- 身内から自殺者が出る
- 借金や人間関係で苦しむ
- 家族がバラバラになる
- 地震等の災害に見舞われる
- etc.
先祖は守護霊
「先祖は守護霊」「守ってくれている」はずなのに、なぜか守ってもらえていない人がほとんどです。
なぜこのような矛盾が起こるのでしょうか?
それは、
- そもそも、守護霊は誰にでもついていない
- 先祖には、守る力がない
と、いうことです。
先祖の守る力
なぜ先祖に守る力がないのか?
それは、
「先祖が成仏しておらず、苦しんでいる」
からです。
私たちは、先祖が成仏しているものと思っていますが、実際は成仏できずに霊界ではなく「幽界」とういう場所で佇んだり、その幽界にも入れず人間界にとどまり浮遊霊となる先祖霊が非常に多いのが現実なのです。
成仏できない霊は、生前(死ぬ間際)の痛みや苦しみを引きずったまま苦しみ続け、我々にすがりつき、背後に憑依しています。
一般の人の背後に居るのは、あくまでも浮かばれていない(成仏していない)先祖霊たちです。
その成仏できない先祖霊たちのことを霊能者は「守護霊」と呼んでいるため、大きな矛盾が生じているのです。
「先祖が祟る」の間違い
身の回りで不幸や不運が続いたりすると、霊的なことが関係していると思い霊能者たちに相談する人がいますが、その時に「何代前の先祖が祟っている」などという霊能者たちがいます。
「身の回りの不幸は先祖が原因だ」と言いますが、これは半分当たりで半分外れています。
逆に「先祖が祟るはずがない」というひとも大勢います。
その理由は、「自分の先祖霊の立場だった場合、自分の子孫(末裔)を守ることはしても、苦しめるはずがない」という理由からです。
しかし、これは、霊の苦しみをわかっていない人たちの理想論でしかありません。
死んで苦しみから解放?
ガンで亡くなった人を想像してみましょう。
死ぬ直前までモルヒネを打ちながら、壮絶な痛みや苦しみと戦いながら亡くなっていきます。
死んで苦しみから解放されれば良いのですが、実際は真逆なのです。
死んでも生前の痛みや苦しみが魂に刻み込まれているため、死後も生前と変わらず苦しみ続けることになるのです。
その様な重い魂は身動きが取れず、苦しくて苦しくてたまらない状態なのです。このような状態で、どうして子孫を守ることが出来るのでしょうか?
それよりも「助けて欲しい」「苦しみから開放して欲しい」と身内にすがりつくことでしょう。(これが憑依です)
この真実の姿が、霊能者たちにも見えていないのです。
つまり
「先祖が祟っている」のではなく、「先祖が成仏できずに助けを求めている」と理解することが重要です。
そうすれば、このおかしな矛盾の謎が解けるはずです。
先祖供養と不幸ごと
先祖供養は私たちが生きていく上での「基礎」となるものです。
ですが、一般に行われている先祖供養は形だけのものであり、先祖が本心から望んでいる供養とは大きく違うため、「正しい先祖供養」とは到底言えません。そこをなんとなくわかっている人が、お寺より宗教へと走るのです。
何とか伝えようと必死
先祖霊は自分たちの苦しみを、生きている我々に何とか伝えようと必死です。
しかし、肝心の肉体がないため、喋ることも書くことも出来ません。
その様な状態にあれば、あなたならどのようにするでしょうか?
先祖たちは、あの手この手を使って、何とか自分たちの存在や苦しみをあなたに伝えようと必死です。
そのため、亡くなった人と同じ病気や原因不明の病気を引き起こさせたり、交通事故に遭わせたり、人間関係を悪くしたり、金銭問題を引き起こしたりと、その人にあった方法で「何か変だ!」と気づかせようとしているのです。
(これを「不幸の連鎖」と呼びます。)
このような状態を「先祖が祟っている」と勘違いしている人が非常に多いのが現状です。
祟っているのではなく「一生懸命に気づいて欲しくてサインを送っている状態」なのだと理解することが重要です。
お経を唱える
一般的に葬式や供養といえばお経とういうイメージありますが、お経と成仏は全く関係ありません。
お経を呪文のように考え、お経を唱えれば霊が成仏すると勘違いしている人も多いのですが、お経とは、そもそもお釈迦様の教えを弟子たちがまとめたもので、生きている人へ訓示などが書かれているものです。
そのため、お経が霊に効くとか成仏させるとかいうのは、迷信に過ぎないのです。
また、霊能者であれば霊を成仏させられると思っていますが、仮に霊能力があっても、それと成仏させることとは無関係です。